赤坂 あちらこちら

 

とらや赤坂店 New!
正駒 
アンベ・クアトロ
T.B.S.
赤坂ナイトクラブ物語
赤坂氷川神社
ザ・キャピタルホテル東急
赤坂日枝神社(山王さん)
赤坂東急ホテル
弁慶橋


 

とらや赤坂店

今回は、和菓子の名門 とらや赤坂店です。
赤坂見附の交差点から246を渋谷方面に向かってすぐの信号の左側です。
とらやの羊羹といえば知らない人はいないでしょう!
実は、夏のかき氷もうまいんですよ!
2018年にビルの立て直しが完成して、伝統を残しながらも現代風なお店に生れ変わりました。
室町時代から京都で御所ご用達のお店です。450年の歴史の本物の老舗です。明治2年の天皇陛下の東京遷都にお供をして、東京にお店を出し、明治12年に現在の赤坂に店を構えました。
地下の{とらや赤坂ギャラリー}で、和菓子や文化の歴史に触れるのも一興でしょう!
とらやの菓寮で抹茶で一服、そのあとJ’z BARへ。。。お待ちしてます!
 



 

大衆割烹 正駒

今回は、大衆割烹 正駒です。
なんと!昭和42年創業です!
赤坂村の栄枯盛衰の歴史の、目撃者です!
広い店内は、創業時と同じ雰囲気で、どこか懐かしく、嬉しくなってしまいます。
何といっても、豊富な居酒屋定番メニューです。クサヤの干物まで何でもあります!
飲み物もホッピーは勿論、焼酎の種類の多さには驚かされます。
その上低価格で提供しています。
昔は、夜の街コースのスタート地点でした。
大女将と若旦那、年季の入った板さんで頑張っています!
おススメです!
 
大衆割烹正駒 赤坂3-15-6    03-3583-4794



 
 

アンベ・クアトロ

今回は、ラテン音楽とメキシコ料理の老舗、「アンベ・クアトロ」です!
神田小川町から始まって、赤坂に移ってからなんと!50年になろうとしています!
まだまだライブハウスなんかない時代から萩さん、じょう子(Youko)さんご夫妻で素敵なラテン音楽を聞かせていました。
赤坂へ来てからは本格的に日本のラテン業界を牽引して来ました。若手の育成にも情熱を傾け、育った歌手も数え切れません。トリオ・ロス・パンチョスをはじめ海外からの歌手も日本公演のたびに、遊びに来ていました。
マスターの萩さんが巨人の大フアンで選手や、タレントも沢山遊びに来ていました。

メキシコ料理も美味しくて、店の看板料理、ボジョレ・ライスは絶品です!

店内の壁一面のカラフルな絵と、沢山のサインも素敵です!
残念ながら、万年青年萩さんが、亡くなってしまいました。じょう子(Youko)さんが頑張っていましが、6月18日で長い歴史に幕を閉じることになりました!
日本のライブ・バーのスタイルを築き上げたことは間違いありません!
また一つ赤坂の老舗店がなくなります!
寂しいですね!
お時間があれば、覗いてみてはいかがですか? 赤坂2-15-12パール赤坂B1  03-3585-0065
 

 
 

T.B.S.

今回は赤坂のランドマーク、T.B.S.です
実は私、T.B.S.に入社したかったんですが、Aの数が足りず受けさせてもらえませんでした。就職して何年かたってT.B.S.の人たちと知り合いになりましたが、あれ?と思う人が沢山いました。学業より大事なことがあったんですね。そういう私も、コネで就職しました。
T.B.S.の前身は、1951年(昭和26年)創業のラジオ東京です。JOKRがコールコードでしたね。報道とパーソナル番組が売りで、永六輔とその世界等でシャレたラジオ局でした。
1955年(昭和30年)ラジオ東京からT.B.S.テレビへ民間初のラ・テ局となりました。
60年、70年代、T.B.S.会館と呼ばれ一世をフウビし、肩にセーターを羽織った人たちが、闊歩していました。
地下にグラナダ、サクソン、ざくろがありましたね!懐かしいですね!
平成6年に現社屋になりました。ランドマークとして、赤坂の街をもっと盛り上げてほしいもんです!
 


 
 

赤坂ナイトクラブ物語

今回は、昭和のセレブ(財界人、政治家、有名俳優、歌手)の社交場だった、赤坂のナイトクラブです!
他国のナイトクラブとの違いは、ホステスさんが接客するところです。赤阪2大ナイトクラブ、ニユー ラテン クウォーターとコカパバーナ!その当時の初任給が、飲み物一杯の値段とも言われていました。
海外からの来日が難しい時代に、アームストロング、ナットキングコール等、多数の外タレが出演していました。それこそ、初任給の6-7倍のチケットでした。
ニューラテンクウォーターは、いまは無き見附のホテルニュージャパンの地下にあり、客席300席、ホステス200人と言われています。力道山が刺されてところですが、昭和52年のホテル全焼の火事で閉店しました。
コパカバーナはデヴィ夫人がホステスをしていたことで有名です。プリンセスと呼ばれるほどの美貌の持ち主だったそうです。
その当時のナイトクラブは、車寄せにはポーターがいて、専属の有名フルバンドが連日演奏をしていました。別世界の華やかさでした。
現在のキャバクラやガールズバーじゃ寂しくありません?
 


 
 

赤坂氷川神社

今回は、赤坂、六本木の守り神、赤坂氷川神社です。
1,000年以上前に一ツ木村に建てられました。
江戸時代、8代将軍吉宗公が現在地に建立したそうです。
なんと浅野内匠頭の夫人揺泉院の実家跡だそうです。
安政の大地震、関東大震災、東京大空襲等の被災を奇跡的に免れ、現在に至っております。
その為沢山の大きな樹々に覆われ、荘厳な雰囲気の中に江戸の情景がそのまま残っています!
江戸城開城の時に江戸市民を守った勝海舟も関係しています。
9月の例大祭の御輿、山車の巡行が有名です!
是非一度、訪ねてみては!
 
 


 
 

ザ・キャピタルホテル東急

今回は山王の丘の上に建つ、「ザ・キャピタルホテル東急」です
大正から昭和にかけて、かの有名な美食家北大路魯山人が星岡茶寮を作ったところです。1958年に東急グループとヒルトンインターナショナルが20年のホテル運営の契約を結び、1963年(オリンピックの前年)に日本初の外資系ホテルとして、東京ヒルトンホテルが誕生しました。
チャップリン、三大テノール、ビートルズ等角界の著名人が数多く滞在したことでも有名です。その頃のヒルトンは各国でその国の雰囲気を出していました。東京ではロビー、レストランから見える日本庭園、お部屋の窓には障子がはめ込まれていました。
リポバー、origami、源氏、星が岡それぞれセンスに溢れていて、著名人に愛されていました。Origamiのパーコー麺、源氏の鉄板ステーキ、リポバーのフィリピンバンド、懐かしいですね!
2010年に現在の「ザ・キャピタルホテル東急」に生まれ変わり、ヒルトン、キャピタル東急の43年の歴史が終わりました!
現在も昔の精神を残した素敵なホテルになっています。
でも・・・新しくなって僕は一度も行ってません。


 
 

赤坂日枝神社

今回は、赤坂日枝神社(山王さん)です。
大田道灌が江戸城を築城する時に、鎮護の神として城内に祭ったのが始まりです。徳川秀忠(2代目)の時に城外に移設され(今の隼町のあたり)家綱の時に、溜池を望む山王の山の上に絢爛豪華な社殿を建てました。江戸庶民から、山王さんと呼ばれて、親しまれたようです。
戦禍にあって、すべて消失してしまいましたが、長い年月をかけて地元の人たちの努力で現在の社殿となりました。
江戸三大祭りの一つとして6月に行われる、山王祭が有名です!
なお、表門は山の裏側、キャピタル東急側になります。
 

 

 
 

赤坂東急ホテル

昭和44年9月に赤坂見附に開業、突然崖の下に、ピンクの軍艦が現れたと話題になりました。
当時は、赤坂の街のランドマークとして注目を浴びました。
14階建てということで、オータニとは違う赤坂らしい感じで、最上階からの眺めも、車や人の流れが実物大で、親しみが感じられました。
平成14年に現在の赤坂エクセルホテル東急になりました。
 

 

 
 

弁慶橋

赤坂見附交差点のお濠にかかる橋、弁慶橋。赤坂見附を象徴する建築物ですね。 何故弁慶橋と呼ばれるのでしょう? 武蔵坊弁慶と関係が?何か、京都との因縁が? 調べてみました。 江戸城普請に携わった大工の棟梁だった弁慶小左衛門が神田の藍染川に架けたから弁慶橋となったとの事。そして明治時代に現在の場所に移されたそうです。なんだか拍子抜けの感じです。 でも、私にとっては昭和40年代に赤阪東急ホテル14階のバー ゴンドラから、裕次郎さんと眺めた弁慶橋に沈む夕日は、忘れられません。 やっぱり赤坂を語る時は、外せません。 その赤坂東急ホテルも、現在は赤坂エクセル東急ホテルと名を変えて、オープンから50周年を迎えるそうです。 ピンクの軍艦と呼ばれた姿のままで。